古いホームページのまま、うまく手入れもできておりませんが、よろしければ、ゆっくりしていってくださいまし。珈琲一杯で、長居のできる店です。急ぐことのない方は、どうぞ。
昭和五十三年の春、父が、長年勤めた珈琲店を辞めて、この角地に小さな店を開きました。ちょうど軒先にツバメが巣をかけた年で、それで「つばめ」と名づけたのだそうです。
はじめは五坪ほどの店で、豆を挽く音と、柱時計の振り子の音ばかりが響くような、静かな場所でした。父は無口な人でしたが、珈琲にだけはうるさく、水曜になると朝から市場へ出かけて、その週の豆を、自分の目と鼻で選んでおりました。あの頑固さだけは、今も私が受け継いでいるのかもしれません。
店を継いでから、ずいぶん経ちました。通りの店も、ひとつ、またひとつと閉じていって、うちに来てくださるお客さんも、いまでは数えるほどになりました。それでも、変わらずに顔を見せてくださった方があって——そういう方のために、私は、店を開けているようなものです。
■霧の季節2014/11/19(水) 18:32
仕入れから戻ると、もう外はすっかり暗い。この季節は、夕方になると、あっという間に霧が出る。通りの明かりも、看板も、みんな滲んで見える。霧越、という名前は、よくできていると思う。
水曜の夕方は、いまも少し落ち着かない。もう長いこと、あの電話は鳴らないのに、体のほうが、覚えてしまっているらしい。
珈琲を一杯だけ淹れて、柱時計を見上げる。今日も、いつものことを、そっとした。…〔つづきを読む〕
誰にも言えないような、小さなことだ。人に話せば、笑われるか、気味悪がられるかのどちらかだろう。けれど、それだけが、まだあの人と繋がっているような気がして、どうにもやめられずにいる。
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■珈琲は、苦い2014/03/05(水) 21:10
長いあいだ、水曜になると決まって電話をくださった方が、遠くへ越されたと、風の便りに聞いた。もう、掛かってはこないのかもしれない。
思えば、あの方が最後に店にお見えになったのも、水曜だった。窓際のいつもの席で、同じ珈琲を、ゆっくり一杯。長っ尻の人ではなかったのに、あの日はなかなか腰を上げなかった。……いま思えば、あれが挨拶だったのだろう。
店に、ぽっかりと穴があいたようだ。今日の珈琲は、いつもより苦く感じた。
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■マメ、動かず2013/09/18(水) 15:44
うちの看板猫のマメが、めっきり寒くなってきたせいか、一日じゅう私の膝の上から動かない。おかげで、仕込みがちっとも進まない。困った看板猫である。
静かな一日。書くほどのことは、何もない。ただ、水曜の夕方だけは、どうも手が止まってしまう。歳を取ると、昔の癖ばかりが、体に残るものらしい。
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■かき氷、はじめました2006/08/01(火) 11:20
暑い。思いきって、かき氷をはじめてみた。学校帰りの子どもたちが、宿題を広げて涼んでいく。にぎやかで、よい。氷を削る音というのは、聞いているだけで少し涼しい。
マメは冷房のいちばん涼しいところを陣取って、我関せず。看板猫の貫禄である。
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■はじめまして2003/11/20(木) 22:03
ホームページなるものを、近所の子に手伝ってもらって、こしらえてみた。何を書けばよいのか、さっぱり分からない。とりあえず、店のことなど、少しずつ書いていこうと思う。
こんな古い喫茶店のページを、はたして、誰か見るのだろうか。
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